下請けの主体性。(山姥)
協力会社ではない下請けの位置をもつ我々は
一部の元請けによっては
動かされて 動く。
働かされて 働く。
つまり 限りなく主体性がゼロに近くなるのだ。
そして その仕組みを軸に行動していると
危険だと感じている。
危険とはここでは 連鎖倒産などの話しではなく
個々人の仕事 そのものに対しての主体性が消失していく事が危険だと思う。
なぜならば
与えられたことを とりあえずFUTUUに やっておけばいい。
ことしか 求められない環境 も手伝うが
作業レベルでの改善や最善策などを含めて
どのようにしたら もっとよくなるだろうか。という向上心を失い、
やり方の効率を カンガエナクナル事につながるからだ。
つまりは 理不尽だと思えることも
ロボットのように言いなりになっていればOKということ。
そして 一番のデメリットは
個々人のモチベーションが 外的なコントロールによって
下がりやすくなる、点だ。
最終的には 必ずつぶされる。
細かいことを言うようだが
言いなりに動く とはかなりの経費を使いこんでいるということも含まれる。
また 最悪なことに
従来のプロセスで、ある程度までこれを 経験してしまうと
「毎日 現場は出来てんだから別にこれでいいんちゃうの?」
って結果論になる。勿論、当社にとっての付加価値もつくれないままに。
下手なことを下手なままに ずっとやりつづけてしまう事に気づきはない。
意識変革を嫌う体質にどっぷり浸かってしまう。
これでは危険どころか
習慣化してしまい 感性が麻痺状態ではないのだろうか。
この業界の下請けのスタンスは 最近ムリクリ解釈した。
協力会社とはならない この業界の仕組みも私なりに解釈した。
「この業界の下請けって・・・」こういうこと?
と、カルチャーショックを受け続けてきたが
これは、仕組みの上に乗っかってる、
代々の下請けの諸先輩たちが 元請けに声を挙げなかったからかもしれない。
と最近、思うようになった。
一部の杜撰な元請けにびくびくして
目先の受注の世間話しで ご機嫌をとる。
その元請けにとって 最善の役に立つことを毎日何年も積み上げてきても
実は ただの傲慢な元請けに成長していたりする。
共栄 という日本語は知らない。
まして、下請けが提案したり 自己実現するとつぶされる?
時代錯誤もいいところなので払拭してもらいたいが
他人と過去はかわらない。
そこの地点から 我々がどうしたいか。に焦点をあてたい。
当たり前の仕事を当たり前にこなす。
この 当たり前レベル が疑問だが
これを 充分な価値とするしか
悲しいかな、会社の体力がない。
求めちゃいかんのか・・
変えられることは何だろう。
(名誉のために)
立派な元請け下請けも沢山あります。
尊敬できる人格者の方も沢山存じ上げております。
自己の成長、自社の成長には
必ず痛みがともなう。
この痛みを何とするか・・
ただの無駄な痛みなのか・・
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